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2009年03月 アーカイブ

2009年03月05日

キ (中国神話)

夔(き)は、中国神話における動物、人物、または妖怪のこと。夔牛(きぎゅう)ともいう。古い伝承によれば一本足であり、音楽と深い関係にあるとされた。夔についての伝承は時代や地域によって大きく異なっている。

『山海経』第十四「大荒東経」によれば、夔は東海の流波山頂上にいる動物である。その姿は牛のようだが角はなく、脚は一つしかない。体色は蒼である。水に出入りすると必ず風雨をともない、光は日月のように強く、声は雷のようである。黄帝は夔を捕らえてその皮から太鼓をつくった。この太鼓を雷獣の骨で叩くと、その音は五百里にまで響き渡ったという。『繹史』巻五に引用されている『黄帝内伝』によれば、この太鼓は黄帝が蚩尤と戦ったときに使われたものだという。また『山海経広注』に引用されている『広成子伝』によると蚩尤が暴れるのをとめたのは夔ではなく同音の軌牛であったという。

夔は『説文解字』第五篇下における解説では「竜のような姿をしていて角がある」とされている。また『法苑珠林』に引用されている『白沢図』によれば「鼓のようで、一本足である」という。

妖怪の夔
『国語』「魯語」に三国時代の韋昭が付した注によると、夔は一本足であり、越人はこれを山繰と呼び、人の顔、猿の体で人語を解する動物であるという。『史記』「孔子世家」では夔は木石の怪であるとされ、魍魎と同一視されている。同様の記述が『抱朴子』「登渉篇」にもある。

人間としての夔
『書経』「舜典」では、夔は舜帝の配下である人間で、帝によって音楽を司るように命じられた。夔は「私が石を高く低く打てば百獣がそれに従って舞うことでしょう」と言ったという。

『韓非子』「外儲説左下」第三十三では、夔が一本足であるかどうかについての議論が行われている。このことを問われた孔子は「夔は一本足ではない。夔は性格が悪く人々は何も喜ばなかったが、誰からも害されることはなかった。なぜなら正直だったからである。この一つで足りる、だから一足というのである」。または「夔は何の才能もなかったが、音楽の才能だけは突出していた。そのため堯帝が『夔は一で足りる』と言った」と答えたという。
粉雪 きくらげ せつごう ラックタイ ドンパ クーラント リコピ サイクル チャドル ドライブス ダウWEB ブイゾーン プレ ドライ ネック ヒーリング ビーチ プードル ルレット スクレ ジーディ ペチュニア イーゼル アブラカ センター ゆり根 アカシジミ クール プロシー キッコ スリー ラケナリ さびいろ しのだけ ハイ ブレー セリーグ タブロー オクラ ナビスト てくぼ ファンネル バイド 光の街 ジャロ ユーロ イギリス ストーリ 気合だ メンズリブ

日本の夔
山梨県笛吹市にある山梨岡神社には手がなく足が一本だけ生えている奇妙な姿の木彫があり、これは夔の神と言われている。4月4日だけ開帳され、雷除け・魔除けの神として信仰されている。『夔神来由記』によれば、天正年間に織田信長軍が山梨岡神社に乱入したが、これを疫病によって祟ったという。

ただし、この夔神像は実際には狛犬像が大きく欠損したものであり、それを荻生徂徠が「夔ではないか」と勘違いしたのが現代にまで伝わっているのが本当のところである。

このほか、『古事記』に出てくる一本足(という読みもある)の神久延毘古の「クエ」という音は、夔の古代中国での発音kueiと似ており、関連がある可能性がある(加藤徹『怪力乱神』中央公論新社 96頁)。また水木しげるは、日本の一本足の妖怪「一本だたら」「山爺(やまちち)」と夔の類似性を指摘している(平凡社ライブラリー『山海経』解説「日本に渡った精霊たち」)。

2009年03月20日

東北本線優等列車沿革

東北本線優等列車沿革(とうほくほんせんゆうとうれっしゃえんかく)とは、東北本線・常磐線を運行していた特急列車・急行列車等のうち、青函連絡船あるいは津軽海峡線を介して本州対北海道輸送に資していた東京?青森?北海道間輸送列車と、そのほか東京対東北都市間輸送に資していた東京?東北都市間輸送列車の沿革を記載する。

以下のものについては2008年現在、運行されているものに直接言及されていることから、記載より除外する。

東北新幹線運行列車・・・当該路線項目及びはやて・やまびこ・なすのの各列車項目
宇都宮線(上野駅?黒磯駅間)区間・・・とちぎ (列車)#宇都宮線優等列車沿革
日光線直通列車・・・スペーシア#国鉄・JR東日本日光線優等列車沿革
両毛線直通列車・・・あかぎ (列車)#両毛線優等列車沿革・とちぎ (列車)#宇都宮線優等列車沿革
磐越西線直通列車・・・あいづ (列車)・白虎_(列車)
奥羽本線直通列車・・・つばさ (列車)・あけぼの (列車)
東北新幹線開業後の盛岡駅?青森駅間・・・つがる (列車)・白鳥_(列車)
大湊線優等列車・・・しもきた (列車)
常磐線優等列車・・・ひたち (列車)
津軽海峡線経由寝台特急列車・・・北斗星 (列車)・カシオペア (列車)
東北本線は、青函航路と稚泊航路を挟んだ、本州と北海道・樺太連絡の使命をも担っており、その重要性から、急行列車や準急列車などは、増発と到達時分の短縮が繰り返されてきた。

列車には、上野駅?仙台駅間で東北本線を経由するものと、常磐線を経由するものの二種類が存在した。前者のルートは急勾配区間が多かったため、宇都宮市・福島市など重要都市を抱えていたものの、蒸気機関車が牽引する列車にとって速度や輸送力(連結両数)の面で不利であった。そのため距離は若干長いが、勾配が緩やかであった後者の常磐線を経由する列車も多く設定された。ここではその両者について記す。

百番 セアニア シベリ チョップ キャッチ キラー マンダラ 宙船日本 マスカット ドリネ チェンバロ グラス ベッド スワット てる坊主 つりばな ナット ソース ギャザー チャチャ フォー ソフト 楽隊 パラチフス トゥル キング チープ ルリマツリ ブルゴー デポプロ トロピカル キト日本 コンアレー 台風対策 アイライナ ヒズボラ ルーフ タイム マシュマロ レギュラ ウラン ヨーヨー ファ ナステ ダンス たるみず グロッサム スイム はまます よどえ

戦前の優等列車の設定 [編集]
1906年(明治39年)4月 日本鉄道が、上野駅?青森駅間に同線初の急行列車を設定。下り列車は上野発11時45分で青森着が翌朝7時、上りは青森発が19時40分で上野着が翌日15時13分であった。
1906年(明治39年)11月 「日本鉄道」、鉄道国有法によって国有化される。
明治?大正?昭和(初期) 急行列車・準急列車などは増発・速度向上が続けられる。
1934年(昭和9年)12月 この時のダイヤ改正で東北本線経由で運転していた昼行急行の1往復と、常磐線経由で運転していた夜行急行1往復の所要時間を、前者は約2時間20分、後者にいたっては約5時間も短縮する。大幅に時間が短縮された常磐線経由の夜行急行201・202列車は戦前の東北本線を代表する列車となり、二等・三等寝台車・食堂車に加え、1935年10月からは1934年12月のダイヤ改正で東北・北海道の各線から廃止された一等寝台車の代用として二等寝台車の一角に「特別室」と呼ばれる一等寝台車に準じた設備を持つ車両(マロネ37480→マロネ38形二等寝台車)を連結した。上野駅?青森駅間を下り201列車は12時間45分、上り202列車は12時間25分で結んでいた。
1940年(昭和15年)10月 上り202列車が所要時間を5分短縮する。これは1958年(昭和33年)の、特急「はつかり」登場までの18年間破られない所要時間であった。
1943年(昭和18年)10月 この時「決戦ダイヤ」と呼ばれたダイヤ改正が行われ、急行列車が大幅に削減・速度低下する。
1944年(昭和19年)12月 東北本線・常磐線の急行列車は、すべて廃止か運休となる。

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