ゲオルク・トラークル(1887年 - 1914年)は、第一次世界大戦中の怖ろしい体験のために自ら命を絶った夭折の天才詩人である。「世界苦」をうたった貴重な叙情詩をのこしており、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインもその詩の愛読者であった。
『果てしない逃走』や『ラデツキー行進曲』で知られるヨーゼフ・ロート(1894年 - 1939年)はユダヤ系の作家でありシオニストでもあった。明晰な文体を特色とし、物語性に富む多くの小説を著した。『ラデツキー行進曲』では、理念としての「多民族国家」を高らかに謳いあげている。ヒトラーの政権掌握後はフランスに亡命し、パリで病死している。
広大なハプスブルク帝国の領土を精神空間として生まれたオーストリア文学の特質を、池内紀は「ドイツとスラヴとユダヤの出会い」としている(1995)。なお、19世紀の小説家・随筆家フェルディナント・キュルンベルガー(1823年 - 1879年)は次の言葉を残している。
「われわれウィーン人は、胸はドイツでも、胸のボタンの穴はコスモポリタンである」
東欧系ユダヤ人(アシュケナジム)の家に生まれたジークムント・フロイト(1856年 - 1939年)は精神分析学を創始して同時代の芸術文化に多大な影響をもたらした。グスタフ・マーラーもフロイトの診察を受けたことがあり、フロイト自身はシュニッツラーの文学作品に親近感をもったという。また、トーマス・マンをはじめとする20世紀のほとんどすべての作家は何らかの形でフロイトの影響を受けているとされる。
精神分析学は、精神療法であると同時に、健康であるか否かを問わず、人間の心理を解明しようとする1つの科学として提唱され、さらには「人間とは何か」という古来の哲学的な問いにたいして答えようとする1つの思想でもあった。自由連想にもとづいて無意識のなかに沈みこんで抑圧されている過去の記憶を掘りおこし、それを言葉で言い表すことによって過去から決別しようとする手法をとり、無意識の欲望の根底にリビドー(性的衝動およびそれを発散させる力)をおいた。フロイトは、アンシュルスの起こった1938年にはロンドンに亡命し、翌年、同地で没した。
やはりユダヤ系のアルフレート・アドラー(1870年 - 1937年)はフロイトの弟子であったが、師の唱えたエディプス・コンプレックスやリビドーの考え方、また何事も性に還元する手法には賛同できず、むしろ、自らの生きる支えとしての自尊感情に着目し、権力を志向する優越欲求や劣等感の代償作用、帰属感、自己受容など自己に対する価値評価をテーマとする個人心理学(個性心理学)を創設し、人はいかにして心の平安とやすらぎを得ることができるかを探究した。こんにち、メンタルヘルスへの関心の高まりとともに学校や企業の現場であらためて注目されている。
ユダヤ系哲学者のオットー・ヴァイニンガー(1880年 - 1903年)の主著『性と性格』(1903年)は、かれが23歳の若さで自殺を遂げたのちに高く評価され、若きウィトゲンシュタインにも影響を与えている。男性原理と女性原理を基本用語として諸事象を解析していく手法は、こんにちでは性差別主義、あるいは反ユダヤ主義としてしばしば非難の対象となっている一方、天才的ひらめきに満ちた名論文として高い評価が与えられることもある。
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889年 - 1951年)はウィーン出身の哲学者である。父はユダヤ系で鉄鋼業で財をなしたカール・ウィトゲンシュタインで、思春期に2人の兄を自殺で失っている。1912年から1914年にかけてケンブリッジ大学で哲学を学んだが、25歳で相続した多額な遺産はほとんど全部を手放している。志願兵として前線にあった第一次世界大戦の間書き続けたノートをもとに1918年から翌年にかけて『論理哲学論考』(1923年出版)を完成させたが、それ以後、このテーマに関して自分のし残したことはないと哲学を離れ、教員養成学校に入学した。6年あまりの小学校教員生活のあいだに『国民学校用辞典』(1926年刊)をつくった。ウィトゲンシュタインはよく「哲学では、いつも利口でいないこと、が非常に大事だ」と語っていたという。また、かれは「わたしの言語の限界は、わたしの世界の限界を意味する」「語りえぬものについては沈黙しなければならない」と述べているように、哲学の仕事を言語分析に限定した。その研究はモーリッツ・シュリックらウィーン学団の哲学思想に大きな影響を与え、こんにちのイギリス、アメリカの分析哲学に多大な影響を与えたとされる。
なお、不完全性定理で著名な数学者・論理学者クルト・ゲーデル(1906年 - 1978年)や批判的合理主義や反証主義で知られる哲学者カール・ポパー(1902年 - 1994年)はオーストリア出身、物理学・数学・論理学・工学・計算機科学・気象学など多方面で活躍したジョン・フォン・ノイマン(1903年 - 1957年)はハンガリー出身である。
自然科学・医学
物理学の分野では、統計力学の端緒を開いたほか、電磁気学、熱力学、数学の研究でも知られるルートヴィッヒ・ボルツマン(1844年 - 1906年)やモラヴィア生まれでアインシュタインに多大な影響を与えたエルンスト・マッハ(1838年 - 1916年)が著名である。
生物学の分野では、シュレージエンの農家に生まれ、エンドウマメの研究から世紀の大発見「遺伝の法則」を発見したグレゴール・ヨハン・メンデル(1822年 - 1884年)がいる。メンデルの研究は生前世に容れられなかったが、メンデルは「やがて私の時代が来る」と言ったとされる。メンデルの研究は、その死後16年たった1900年、それぞれ独自に研究を進めていた3人の研究者によってほぼ同時にその真価が認められた。
医学の分野では、精力的な病理解剖をおこなったカール・ロキタンスキー、近代的な診断学をつくりあげたヨーゼフ・スコダ、「標準視力検査表」をつくった眼科のフェルディナント・アルルト、麻酔法や胃の切除で新しい技術を確立したテオドール・ビルロート(1829年 - 1894年)、「整形外科の父」とよばれ、無血外科治療を考案したアドルフ・ローレンツ(動物学者コンラート・ローレンツの父)、ABO式血液型を発見したカール・ラントシュタイナー(1868年 - 1943年)など錚々たる名前が並ぶ。こうしたウィーン医学の隆盛は、1938年のアンシュルスによって断ち切られるように終焉を迎えた。医学関係者にはユダヤ系の人材が少なくなく、ある者は強制収容所に送られ、ある者は亡命の道を選んだからである。アセチルコリンの医学への応用で知られる、グラーツのオットー・レーヴィもそうした一人であった。亡命者の多くがアメリカに渡ったことによって、医学界の共通語がドイツ語から英語へ切り替わったとする見方さえ存在するほどである。
経済学
経済学ではオーストリア学派のカール・メンガー(1840年 - 1921年)が限界効用理論を唱え、それまでの労働価値説に代わる価値の根源に対する新しい考え方(限界効用)を提示して、ジェボンズ、ワルラスとともに近代経済学の祖のひとりとなった。主著に『社会科学、特に経済学の方法に関する研究』(1883年)がある。
メンガーの熱心な支持者であったオイゲン・フォン・ベーム=バヴェルク(1851年 ? 1914年)は、近代的所得税の導入を提言し、その成功によりオーストリアの大蔵大臣を3期務めた近代経済学者である。限界効用価値説の発展に貢献し、利子論における時差制の主張者として有名である。主著に『資本と利子』(1884年 - 1889年)がある。
「イノベーションの理論」を唱えたヨーゼフ・シュンペーター(1883年 - 1950年)もオーストリア出身の経済学者である。1919年にオーストリア蔵相も務めた、20世紀の指導的な経済学者のひとりである。主著に『経済発展の理論』(1912年)がある。
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